大判例

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名古屋地方裁判所 昭和50年(わ)1414号 判決 1977年3月15日

主文

一、被告人花井重雄を罰金一〇、〇〇〇円に、同服部平和を同一五、〇〇〇円に、それぞれ処する。

二、被告人両名において、右各罰金を完納することができないときは、金二、五〇〇円を一日に換算した期間、各被告人を、いずれも労役場に留置する。

三、被告人両名に対し、公職選挙法二五二条一項の規定を適用しない。

四、訴訟費用中証人勝田勤に支給した分を被告人花井の、証人宮本純に支給した分を被告人服部の各負担とし、その余の証人に支給した分は、被告人両名の折半負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人両名は、いずれも日本共産党の党員で、昭和五〇年二月九日に施行された愛知県知事の選挙に際し、同党推せんの候補者成瀬幡治のため、選挙運動を行なっていたものであるが、それぞれ、他一名(被告人花井の場合は、氏名不詳の女性であり、同服部の場合は、氏名不詳の男性である。)と共謀のうえ、同年一月下旬ころ、「みんなでつくろう革新県政を」の見出しで同候補者の氏名、写真及び政見を掲載した選挙運動文書、「愛知がそだてた革新の人」の見出しで同候補者の氏名、写真及び政見を掲載した選挙運動文書、並びに「推せんのお願い」の見出しで同候補者への推せんを依頼する選挙運動文書を、

(1)  被告人花井は、別紙一覧表(一)記載のとおり、名古屋市中村区松原町五丁目一〇〇番地木下鍬一方ほか四か所において、同一覧表の被頒布者欄記載の各相手方に配布し

(2)  同服部は、別紙一覧表(二)記載のとおり、同市東区鍋屋上野町字半ノ木一、四一二番葉山美津子方ほか八か所において、同一覧表の被頒布者欄記載の各相手方に配布し

もって、それぞれ、法定外文書を頒布したものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人両名の判示各所為(被告人花井については判示(1)の、被告人服部については判示(2)の各所為)は、刑法六〇条、昭和五〇年法律第六三号の公職選挙法の一部を改正する法律の附則四条に従い、右法律による改正前の公職選挙法二四三条三号、一四二条一項に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人花井を罰金一〇、〇〇〇円に、同服部を同一五、〇〇〇円にそれぞれ処し、各被告人が右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金二、五〇〇円を一日に換算した期間、被告人両名をいずれも労役場に留置し、なお、後記の諸事情を考慮し、公職選挙法二五二条四項に則り、同条一項の規定は、被告人両名に対し、いずれもこれを適用しないこととし、訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文を適用して、これを主文第四項のとおり被告人両名に負担させることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

一、弁護人の主張

弁護人らは、当公判廷において、多岐にわたる事実上、法律上の主張をしているが、そのおもなものの要旨は、

(一)  被告人両名に対する本件各公訴の提起は、革新統一勢力及び日本共産党(以下、共産党という。)に対し、政治的打撃を与えることを目的とした差別的な起訴であり、かつまた、起訴基準を逸脱してなされたものであるから、公訴権を濫用したものとして、刑訴法三三八条四号により、いずれも棄却されるべきである。

(二)  被告人両名は、次の理由で、いずれも無罪である。すなわち、

(1) 本件各公訴事実に適用されるべき前示法律による改正前の公職選挙法(以下、公選法又はたんに法という。)一四二条一項、二四三条三号は、憲法一五条及び二一条に違反して無効である。

(2) 被告人両名は、いずれも、地域の婦人団体等に対し、知事候補者成瀬幡治(以下、成瀬候補という。)への団体推せんの依頼をするため、四名ないし八名という少数の役員宅へ、推せん決定のための資料として判示各文書を配布したに過ぎないから、公選法一四二条の禁止する文書の「頒布」をしたとはいえない。

(3) 被告人両名の各行為は、その頒布した文書の内容が、対立候補に対する無責任な中傷や誹謗を内容としていないこと、右文書の数量及び相手方が極めて少いこと、その行為が、成瀬候補への団体推せんの検討並びに要請という、それ自体は適法な目的に基づくものであって、買収等の不正な目的に基づくものではないこと、などの諸点に照らし、社会的相当性から逸脱する度合が軽微で、可罰的違法性がない。

二、当裁判所の判断

(一)  公訴権濫用の主張について

しかしながら、まず、被告人両名が頒布した本件各文書の体裁、内容、頒布の時期、方法などから見て、被告人両名の判示各所為が、公選法一四二条一項、二四三条三号所定の法定外文書頒布罪を構成することは、明らかなところであり、しかも、各頒布した文書の枚数が必ずしもきわめて少数とはいえないこと、頒布の態様や文書の体裁などから見て、一応組織的な犯行と疑われること、被告人両名とも、捜査官に対し、自己の外形的行為については、具体的な供述をしているが、自己と行動を共にした共犯者の氏名や共謀の内容等については、一切の供述を拒否しており、自己の刑責を全面的に認める態度を示していたわけではないことなどの証拠上明らかな諸点に照らして考えると、本件が、そもそも、略式命令請求にすら値せず、当然に起訴猶予処分がなされて然るべきほどに、きわめて軽微な事案であるとは認め難い。

次に、関係証拠によると、昭和五〇年二月九日に施行された愛知県知事選挙(以下、本件選挙という。)に関し、文書違反罪で起訴された者の党派別内訳は、共産党二名、日本社会党一名、自由民主党二名であって、必ずしも、一党一派に偏した結果とはなっていないこと、本件犯行の捜査は、昭和五〇年一月下旬ころ、民間人からの情報提供を端緒として開始され、捜査の結果、行為者の特定した分から順次検察庁に送致されたものであって、たとえば行為者を尾行して検挙するというような、明らかに特定の者に対する狙いうちを疑わせる捜査方法がとられた形跡はないことなどの諸点も、明らかであると認められ、これらの点から見ても、被告人両名に対する本件各公訴の提起が、所論の主張するような差別的な意図のもとになされたものではないと認められる。

もっとも、証拠によれば、(1)本件文書違反の検挙に際しては、他の多くの文書違反の事案におけると異り、捜査当局から、事前の警告が全くなされていないこと、(2)成瀬候補の支持陣営において、文書違反で起訴された三名(被告人両名を含む。)は、いずれも、本件選挙に引き続く統一地方選挙の予定候補者であったこと、(3)「みんなで革新愛知県政をつくる会」(以下、単に「みんなの会」という。)が告発した前愛知県知事桑原幹根、同現知事仲谷義明らに対する公選法違反被疑事件が、いずれも不起訴処分に付せられたこと、等の諸点は、所論の指摘するとおりであったと認められる。

しかし、まず、右(1)の点について考えると、関係証拠によれば、捜査当局が、他の事案と異り、本件について事前の警告をしなかったのは、頒布された文書の体裁、内容、頒布の時期などから見て、本件が法定外文書頒布罪を構成することが明白であって、しかも、同種の文書が同時期に他にも多数出まわっていたところから、組織的悪質な事案であると考えたからであると認められ、前記のとおり、右判断は、客観的に見ても一応首肯することができるのであるから、捜査当局が、本件について、事前の警告を発しなかったことをもって、本件捜査が、所論の主張するような差別的な意図に基づいて行なわれたことの証左であるということはできない。次に、前記(2)の点について考えると、成瀬候補の支持者が行なった本件と同種の選挙違反のうちには、後の統一地方選挙の予定候補者でありながら、起訴猶予処分に付されたものの存すること、仲谷候補支持陣営の側にも、本件と犯情において大差のない法定外文書の頒布罪について略式命令を請求されたものが二名いること、などは証拠上明らかなところであるから、本件選挙に関して同種の選挙違反を犯して起訴された被告人らを含む三名が、たまたま、後の統一地方選挙におけるいわゆる革新陣営側の予定候補者であったからといって、被告人両名に対する本件各公訴の提起が、統一地方選挙に際し革新陣営に打撃を与える目的で行なわれたと疑うのは相当でない。さらに、前記(3)の点について考えると、「みんなの会」が告発した桑原幹根及び仲谷義明に対する公選法違反の被疑事実は、被告人両名に対する本件法定外文書頒布の被疑事実と異り事実上、法律上種々の問題点を包含すると見られる公務員の地位利用罪等(桑原幹根に対するもの)及び虚偽事項公表罪(仲谷義明に対するもの)であって、しかも、その告発にかかる外形的事実が、証拠上すべて肯認された場合でも、右各罪が成立するのかどうか、にわかには断じ難いような微妙な事案なのであるから、右各罪が不起訴処分となり、犯罪の成立することの明らかな本件各事実について検察官が略式命令の請求をしたからといって、本件各公訴提起が片手落ちで不公平な処分であるとはいえない。

以上のとおりであって、本件各公訴の提起が、公訴権を濫用してなされたとする弁護人の主張は、とうてい採用できない。

(二)  憲法違反の主張について

しかしながら、法定外文書の頒布を禁止する公選法一四二条一項の規定が、憲法二一条に違反しないことは、累次の最高裁判所大法廷判決が、くり返し判示するところであり(所論指摘の①最高裁判所昭和三〇年四月六日判決・刑集九巻四号八一九頁のほか、②同昭和三九年一一月一八日判決・刑集一八巻九号五六一頁、③同昭和四四年四月二三日判決・刑集二三巻四号二三五頁各参照)、右判例は、すでに確定していると見られるので、当裁判所も、右見解に従うこととする。また、右判例の趣旨にかんがみると、公選法一四二条一項の規定が、憲法一五条に違反するものであるとは、とうてい認められない。よって、右弁護人の主張は、これを採用することができない。

(三)  「頒布」の構成要件に該当しないとの主張について

たしかに、公選法一四二条一項は、同条項所定の文書を選挙運動として頒布することを禁止したものであり、これを選挙運動の準備行為として配布することまで禁止したものではないと解される(④最高裁判所昭和四四年三月一八日判決・刑集二三巻三号一七九頁)。しかして、被告人両名の判示各所為が、地域の婦人団体の役員等に対し、成瀬候補への団体推せんを依頼するという形式をとって行なわれたことは、証拠上明らかなところであるから、その形式面のみに着目すれば、これが選挙運動の準備行為であると見られないこともない。しかしながら、特定の選挙の公示又は告示後の時期において、その選挙に関し、ある者が、外部から、他の個人又は団体に対し、特定の者を、支持すべき候補者として、他の者又は団体構成員に推せんされたい旨の依頼をする行為は、特別の事情のない限り、もはや選挙運動の準備行為ではなく、その実質は投票依頼行為であって、選挙運動にあたるものと認めるのが相当である(前掲④最判参照)。本件における被告人らの文書の配布行為の行なわれた時期が、本件選挙の告示後であったこと、配布の相手方が、被告人両名の属する選挙関係組織外の者である地域婦人団体の役員等であったこと、などの事実は、証拠上まことに明白であるところ、関係証拠を精査しても、右配布行為が、純粋の推せん依頼行為であって、実質上の投票依頼行為ではなかったことをうかがわせるに足りる特別の事情は、これを認めることができないのであるから、被告人両名の判示各所為が、法一四二条一項の禁止する法定外文書の「頒布」にあたることは、明らかであるといわなければならない(なお、所論は、本件各文書の配付を受けた相手方が、比較的少数であったことを理由として、右行為が、「頒布」にあたらないとの趣旨に帰着する主張もしているが、法一四二条一項の禁止する法定外文書の「頒布」とは、不特定又は多数人に文書を配布することをいうと解するのが相当であるから、各文書の被配布者が、不特定の者であることの明らかな本件の事実関係のもとにおいては、被配布者が比較的少数であったことを理由として、右配布行為が、「頒布」にあたらないということはできない。)。

(四)  可罰的違法性の欠如の主張について

しかしながら、被告人両名の判示各所為は、その頒布した文書の体裁、内容、枚数、頒布の時期・態様・方法などから見て、必ずしも、著しく事案軽微であるとはいえず、まして、法一四二条一項の構成要件が類型的に予想する可罰的評価の程度に達しないなどといえないことは、明らかなところである。所論援用の判例は、いずれも、本件と事案を異にし、適切でない。よって、右弁護人の主張は採用しない(なお、弁護人は、被告人両名は、本件各行為が適法であると確信していたから無罪であるとの主張もしているが、被告人らにおいて、右各行為が法律上許された行為でない旨の―少くとも未必的な―認識を有していたことは、被告人両名の捜査官に対する各供述調書に照らして明らかであるから、右弁護人の主張も、とうてい採用の限りでない。)。

(公選法二五二条一項の規定を適用しなかった理由)

いうまでもないことながら、国民が政治に参画する権利(参政権)なかでも公職の選挙権及び被選挙権(以下、公民権という。)は、国民主権、議会制民主主義をとるわが国において、もっとも重要な基本的人権の一つとして尊重されなければならない。もっとも、選挙犯罪により刑罰に処せられた者は、現に選挙の公正を害した前歴者として、選挙に関与させるに不適当な素質を有する場合が多いと認められるから、このような選挙に関する不適格者は、一定期間、公職の選挙に関与させない方が適当であって、その意味で、一定の選挙犯罪者に対し、他の一般の犯罪者と比べ、とくに厳しい公民権停止の処遇を規定した公選法二五二条一項は、憲法一四条、四四条に違反するものではないと解するのが相当である(最高裁判所昭和三〇年二月九日判決・刑集九巻二号二一七頁)。しかしながら、ひとくちに選挙犯罪者といっても、その犯情は千差万別であって、事案により、選挙の公正を侵害する程度にも、自ら軽重の差のありうるところから、法は、法二五二条一項所定の犯罪を犯した者に対しても、裁判所が、情状によって、その公民権停止の規定の適用を排除したり、あるいは、その期間を短縮することができるとしているのである(同条四項)。

ところで、本件における被告人両名の判示各所為は、すでにくり返し説示したとおり、その事案の軽微性の故に、公訴の提起自体の適法性を疑わせたり、可罰的違法性の存在を否定されるようなものではないけれども、頒布した文書の枚数や頒布の回数がそれほど多くはないこと、文書の内容も、成瀬候補の人柄や政策を紹介した真面目なものであり、対立候補に対する中傷や誹謗などを含んでいないこと、被告人両名は、多年教職にあって、教育の現状を真剣に憂慮した結果、政界に進出してその改善を図ろうとしていたものであって、動機に不純な点はなく、また、両名とも、もとより、何らの前科前歴を有しないこと、などの諸点に照らして考察すると、その犯情が比較的軽微であることは否定することができず、かりに、その公民権を停止するにしても、せいぜい一年以内の比較的短期間の停止に止めるのが相当な事案であると認められる。しかして、被告人両名は、本件各公訴事実につき、昭和五〇年三月二四日(被告人服部の場合)及び同年四月二五日(同花井の場合)に、いずれも「罰金一五、〇〇〇円、公民権停止三年」の略式命令の告知を受けた後、ただちに正式裁判の申立をし、じ来、当裁判所において、公判審理を受けてきたものであるが、本件について捜査機関から取調べを受けたり、さらには右略式命令の告知を受けたりしたために、予定していた統一地方選挙への立候補を事実上断念せざるを得なくなり、その後、すでに二年に近い年月が経過しているのであって、被告人両名に対しては、本件略式命令の告知それ自体が、政治的な意味では、相当期間公民権を停止されたのと同様の打撃を伴うものであったといわなければならない。被告人両名が、右略式命令に対し、正式裁判を申し立てた決定的な理由は、同命令が、三年間という長期間の公民権停止を伴うという意味において、予想外に厳しいものであったことにあることは、被告人らの当公判廷における各供述に照らして明らかなところであるが、右略式命令の量刑(とくに、公民権停止の期間)は、前記の諸事情にかんがみ、客観的に見て、やや重きに失すると認められるのであるから、右正式裁判の各申立は、まさに、適法な訴訟上の権利の行使であったというべきであり、また、正式裁判へ移行した後においても、被告人両名及びその弁護人は、検察官請求の書証にすべて同意するなど、訴訟の進行に終始協力的であって、かれらが不当な引延ばし工作にいでたという事情のごときは、もとよりこれを認めえない。このように、本件がもともと比較的軽微な事案であることのほか、本件が正式裁判へ移行した経緯、さらには、本件略式命令の告知が被告人両名に与えた政治的打撃など記録上明らかな一切の事情を総合して考察すると、被告人らに対し、いまここで、比較的短期間にもせよ、一定期間の公民権停止の措置をもって臨むときは、その犯した罪に比し、不当に苛酷な結果となるおそれが多分にあるので、公選法二五二条四項に則り、同条一項の規定は、これを適用しないこととした。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 服部正明 裁判官 木谷明 黒木辰芳)

<以下省略>

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